ジョルジョ・ヴァザーリは偉大な画家であった。
壁画「アンギアーリの戦い」はヴァザーリも敬服する作品だった。
しかし、アンギアーリの戦いは未完成であった為、市民には評価されず
教会の手によって改修されることとなった。
改修工事の責任者はヴァザーリとなり、偉大な作品を前に悩むこととなる。
*この話はホームページのネット公開作品で公開しています。
ネットのニュースで知ったのは2007年の2月頃だったでしょうか? その記事である大学の教授だかなんだかの人が絵の裏に隠された壁画が ある可能性が高いというものでした。そして隠された壁画の上に ある絵(こちらも超有名な絵らしい)の旗に「探せば見出される」と 書かれているのが発見されたというものでした。
なぜわざわざ絵を隠したのか?そしてメッセージは何を意味するのか? こんなことをする意味を考えると色々想像できたので、このニュースを 見たときは衝撃を受けたのを覚えています。なんらかの事情で残したい と思ったからこそ、わざわざ隠したのだろうな、とは思ってました。 では、何故なのか?ちょっと調べてみることにしました。
旗の絵の方は、ジョルジョ・ヴァザーリという人が描いたというのは わかりました。そして壁画の方は有名なダヴィンチの絵でその名を 「アンギアーリの戦い」というのがわかりました。しかし、ニュースで これらのことはわかったのですが、詳しいことはこれ以上わからない。 ネットで検索かけてもなかなか思ったような ものはヒットせず、手詰まり になってしまいました。
なんとかわかったのは英語のウィキペディアをツールで日本語に 無理矢理訳して読めたものでした。どうやら「アンギアーリの戦い」は 未完成だったので市民のうけは悪かった、みたいなことでした。 なるほど、それでこの壁画は廃棄してヴァザーリが絵を描くことに なったのだろうなと。
当時はこれ以上ニュースもなく、これを題材にしてなんか書けたら いいだろうなぁと思ってそのまま忘れてました。2007年11月の コミティアの出し物が急遽変更になったため、どうしようかと思って た時に、ちょうど特集番組をたまたま見たので思い出し、書くことに しました。その特集番組は壁画ではなくて、同じ教授が絵画の元の絵 を再現するみたいなやつでした。有名になった絵画に箔をつけるため、 後世の画家が勝手に手を加えたりしてたそうです。
この時点ではネットのニュースと海外のウィキしか情報がなかったため 自分で想像してこんなだろうなと思ったものを書くことにしました。 この時代はまだ教会とかも権力強いだろうから教会にしとこう。と決めた のですが、実際はメディチ家からの依頼だったようです。まぁ後で調べたら メディチ家からも法王とか出てたりするので、あながち間違いではなかった のかもしれませんが。
というわけで急遽の変更のため絵もないし、段組にするより横書きで ダァーッと書いてしまおう、というあまり味気ないものになってしまいました。 味気ない本ではあるけど、話としてはそこそこ面白くできたんじゃないか? と思うのでこのホームページで公開することにしました。興味ある方は ご一読下さい。
旗の一文「探せば見出される」の原文はわからずじまいだったのですが 2008年4月29日に放送された「ダヴィンチの巨大壁画の謎を追え」 という中でわかりました。「CERKA TROVA 」と書いてあった ようです。特番でやってたので見た方もいるかもしれませんね。 いよいよ壁画の確認が始まるらしく、2008年の秋ごろにまた、何か ニュースがあるかもしれません。
本文中の最後の「ノリ・メ・タンゲレ」はキリスト教の絵画で有名な 場面で、復活したキリストに触れようとした時に言った言葉らしいです。 「私に触れてはならない」最新技術ではX線やらなんやらで触れずに 調べられるようなってるのでこの言葉を選んでみました。ちょうど キリスト教関係の本読んだあとだったので。
ダヴィンチももちろんすごいのですが、このジョルジョ・ヴァザーリ と言う人も相当すごいらしく。この人についての伝記を手に入れて あるので、また何か書けたら書きたいな、と思っています。
当時のネットニュース(確か毎日)の抜粋です。
レオナルド・ダビンチの幻の名作といわれる16世紀初めの壁画の所在
を探す本格調査が今春、イタリア中部フィレンツェのベッキオ宮殿(現市庁舎)
で始まる。壁画は長年、消失したとされてきたが、近年の科学調査で
別の大壁画の裏に埋もれている可能性が高まっている。名画は
よみがえるのか。
この壁画はフィレンツェ軍がミラノ軍を破った15世紀の戦いを描いた 大合戦図「アンギアーリの戦い」。ダビンチが当時の権力者に制作を 委嘱され、宮殿内の大会議室で1505年6月に着手したが、暴風雨に より一時中断。8月に再開したものの、未完に終わったと記録されている。 その後、1563年、画家で建築家のジョルジョ・ヴァザーリが同室を 大改築し、自分の絵を全壁面・天井面に描いたのに伴い、記録は途絶え、 「破損されたか、遺棄された」とみられてきた。一方で合戦図の中心部分 となる「軍旗争奪」という題の壮絶な部分は出来上がっていたとも伝えられ、 その模写作を模写したルーベンス(1577〜1640年)の著名な絵も 残っている。
今回、調査を指揮するのはイタリア人工学者で美術解析学者の マウリツィオ・セラチーニ氏(60)。同氏は米国留学中に師事したダビンチ 研究の第一人者カルロ・ペドレッティ氏の提案で科学技術を駆使した調査 の研究を始めた。1975年から2年間は大会議室の壁面・天井面を調べた。 当時はヴァザーリの壁画を傷めずに壁の裏側まで調べる技術はなかったが、 天井画の隅の小さな旗の絵に「探せば、見い出される」という奇妙な言葉が あるのを発見した。