僕と小心者のケンタ。それに小太りのゴンゾウ。3人はよく海で遊ぶ。
立ち寄ってはならないと言われていた注連縄岩に向けて泳いでいると
僕は溺れかけた。その僕の目の前に不思議な少女が現れなんとか助かる。
その後大きな台風が町を襲い父は船を見にでかける。そこでまた
あの少女と出会うことになる。果たしてこの少女は何者なのか。
海と海にかかわる人達の物語です。
さて、この話を書き上げてからすぐに書こうと思ってたのですが大分時間が
空いてしまいました。当時書いた時の狙いなどをひとつ。
この話は伊勢湾台風をモデルにしています。私の父が三重出身でこの台風を体験
したそうで。その話の中で近くの注連縄縛ってる岩まで競争で泳いで登ってたという
逸話も話してくれました。まぁ神聖な場所なので立ち入り禁止なのですが子供
相手ではしょうがなし。夫婦岩だったかな。
それらの話を聞いてこの話の構想を得ています。緑の海に現れる少女は海そのもの
を体現した存在、みたいに考えてました。子供が神聖な岩に登って遊んで海の神様
は怒るのではないか?でも子供だから許してくれる。子供の精神的世界での許し
みたいのはどこでもある話のような気もします。子供は無邪気で邪気がないからー
なんてのもあるかなと。
逆に言えば分別のある大人が神聖な場所を汚してしまうと不興を買ってしまって
バチが当たる。きまぐれな少女の行動の意味はそんなことを考えての対応でした。
もしかしたら単に少年を気に入ったから助けただけかも知れないし、台風で荒れて
いたので少女の心も荒れていたから、なんてのもあるかもしれません。海という存在
はきまぐれであり、人間では計り知れないもの。海にしろ山にしろ人は昔から
人は偉大な存在を感じていたのかもしれません。
主人公僕は漁師の仕事を継いで平さんと一緒に漁をする、という後日談もあるかも
知れないし、母の為に海での仕事をせずに学業の方に進む、という選択もあるかも。
その後どうなったのだろう?と考えられるような話になればなと思ってました。
主人公の父の名前は「源太」で助手が「平」ですが、名前の由来は源平合戦から
取ったりしました。単に海の話で有名所だったからの選択ですが。
そしてこの話は文学フリマで出すものだったので自分的な文学っぽさを意識して
書いたものとなっています。文学とは何か?文学フリマの序文などでも書かれて
ましたが一文で定義するには難しいもんかもしれません。心の機微や人間的感情
の表現が基本的な文学の要素のひとつじゃないかなと思います。
昭和モダンシリーズとして出してるので昭和初期辺りがメインとなるはずなんですが
台風は昭和中期かもしれませんね。昭和モダンシリーズは厳密な範囲ではなく、なんとなく
昔のような感じで考えてます。近代ではない、昔。くらいのスタンスでしょうか。
文学フリマが初出で、その後出した飾緒語りの短編集に入れました。
昭和モダンシリーズは色でタイトルをつけてたので赤、藍、青とあったので
緑かなと。緑か黄色の話にしようかなと思ってました。海草はもしかしたら
海だと茶色っぽいかもしれませんがそこはソレで。
文学っぽく書くというのは中々大変ですが(私自身よくわかってないのかもしれず)
また何か書く機会あったら挑戦してみたいと思います。